上野恩賜公園ガイド演習 2022年4月27日

2022年4月22日と27日の2回、H.Oさんの案内で「上野恩賜公園の江戸と東京をたどる」演習を行いました。当会の「江戸から明治維新を辿る」と「代表的な建築物を巡る」の両コースを網羅し充実した内容の演習でした。


祈祷寺から始まった寛永寺が徳川家の菩提寺になっていく過程、また家康の遺言から東照社・東照宮の創建。そして上野戦争・明治維新後の公園への変遷、さらには代表的な建築の詳細な説明、国立西洋美術館の改修工事の最新情報まで、豊富な資料と共に、深く幅広い内容を分かりやすく丁寧にご説明していただきました。

今回もWさん、Kさんから多くの写真を送っていただいたのでアップしました。

擂鉢山古墳の下でH.Oさんのガイドが始まりました。
彰義隊の墓碑です。明治15年にたてられました。明治政府からは賊軍にあたるので、彰義隊の文字はなく、山岡鉄舟の筆によって「戦死之墓」とのみ刻まれています。
上野と言えば西郷さんです。高村光雲の作で、犬を連れた姿に親しみがわきますが、西郷さんの未亡人は「うちの人はこんなんじゃなかった」と言ったとか。
寛永寺の黒門(総門)跡です。彰義隊と官軍がぶつかり合った上野戦争では激戦地となった場所です。黒門は荒川区の円通寺境内に移築されていて、そこには上野戦争での銃弾の跡が生々しく残っています。
清水観音堂の舞台の上です。寛永寺は比叡山延暦寺の江戸版としてつくられました。こちらは京都の清水寺の写しで、不忍池は琵琶湖を模しているそうです。
清水観音堂下の「月の松」を通して不忍池の弁天堂が見えます。広重の浮世絵に書かれているものを再現しています。
上野大仏とパゴタを見上げる。
上野大仏は関東大震災で崩れ落ち、顔だけが保存されています。これ以上落ちないという縁起担ぎから、受験生の合格祈願として絵馬が奉納されています。
上野東照宮の唐門(国指定重要文化財)です。
東照宮にあった五重塔です。明治の神仏分離令、廃仏毀釈で取り壊されるのを防ぐため、東照宮(神社)から分離して東京都に移管しました。そのため、五重塔は東京都の上野動物園の敷地に建っています。
小松宮彰仁親王銅像、明治維新では仁和寺門跡から還俗されて官軍の指揮をとられた。一方、寛永寺貫主で日光輪王寺門跡をされていた北白川宮能久親王は北の丸公園に軍人としての銅像が建っています。
明治新政府が病院建設を決めていた上野の山を、ポードワン博士が「市民のための近代的な公園にすべき」と提言されたおかげで、上野が都民の文化、憩いの場として残されました。
旧東京音楽学校奏楽堂です。中にはふるいパイプオルガンがあり、コンサートも開かれています。

旧帝国図書館のリフォームを安藤忠雄が設計し、国際子ども図書館として活用されています。
国立博物館前です。旧寛永寺の本坊はこの付近にあったそうです。
寛永寺の根本中堂です。今の根本中堂は、明治12年に川越喜多院の本地堂を移築したものです。
寛永寺にある霊廟のひとつで、5代将軍綱吉が埋葬されている常憲院霊廟の勅額門です。
寛永寺旧本坊表門です。
ボタンの花も満開でした。
4月23日に参加したメンバーの記念撮影です。
4月27日に参加したメンバーの記念撮影です。

3時間の演習の予定でしたが、あっという間に過ぎてしまい、まだまだ時間が欲しいと感じるほど濃い内容の演習でした。
H.O様、本当にありがとうございました。

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