「日本橋と蔦屋重三郎」演習 2025年12月18日、21日

2025年12月18日(木)と21日(日)の2回にわたって「日本橋と蔦屋重三郎」の演習を行いました。どちらも、10時に三越前の地下にある「熈代勝覧」の絵図レプリカ前に集合して、O様のガイド、K様が世話人で演習を行いました。2回とも15名(合計30名)が参加して盛況でした。

ルートは熈代勝覧-福徳神社-浮世小路-薬祖神社-小津和紙-日光街道道標-江戸屋-イチマス田源-鱗形屋孫兵衛店跡-大丸屋跡-蔦屋重三郎店跡-鶴屋喜右衛門店跡-西村屋与八店跡-薬研堀跡-両国橋-柳橋-浅草橋 です。

最初に熈代勝覧の説明を受けました。熈代勝覧は江戸時代(1805年頃)の日本橋を描いた絵(巻物)で、須原屋市兵衛の本屋、越後屋、木屋などの店の様子や行き交う人々の様子が生き生きと描かれています。
室町の浮世小路では、料亭「百川」のあった場所や、福徳神社の名前の由来、薬祖神社の由来のお話などがありました。

熈代勝覧の前で説明を聴く。高札の文字も読めるほどにとても詳細に書かれた絵図です。
福徳稲荷神社
古河グルー発祥の地にある、創始者・古河市兵衛のブロンズ像


室町から、浅草見附のあった浅草橋近くまでは主に旧日光街道に沿って歩きました。小津和紙では「べらぼう」最終回に登場した本居宣長との関係、また木綿問屋が軒を連ねた大伝馬町などの説明を聞きながら歩きました。

「イチマス田源」では再現されている耕書堂の展示を見学し、その後はべらぼうに登場した地本問屋の跡地(鱗形孫兵衛店・蔦屋重三郎店・鶴屋喜右衛門典・西村屋与八店)を巡りました。
途中には、1743年(寛保3年)に京都から江戸に進出し、呉服・太物を扱っていた下村彦兵衛の大丸屋呉服店のお話もありました。

小津和紙店前の説明板。1653年に伊勢商人の小津清左衛門が紙商を創業したそうです。
ブラシの老舗江戸屋(1718年創業)の店先
イチマス田源の2階には葛飾北斎が描いた耕書堂が再現されていました。
蔦屋重三郎の耕書堂のあった場所には大きな説明板があります。


さらに馬喰町の繊維問屋街を抜け、薬研堀跡へ。薬研堀が造られた由来、明暦の大火前と大火後の変化などの説明を聞き、薬研堀不動院を拝観しました。
隅田川にかかる両国橋まで歩き、広小路、隅田川の花火、大山詣でなどのお話を聞いて、柳橋では船宿と料亭、花街について説明いただきました。
最後に浅草御門と郡代屋敷跡を巡り演習を終了しました。

薬研堀不動院
神田川にかかる柳橋の周辺には屋形船がたくさん係留してありました。

演習後は希望者でランチをとりました。
ランチ後に両国までおまけの演習をしていただきました。

昼食後にまわった回向院の境内にある力塚。
回向院は江戸時代の勧進相撲が行われた場所で、これは歴代相撲年寄の慰霊の為に建立されました。

O様、2回の演習ありがとうございました。

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